
[Vol.4] 俳優 草刈正雄さん

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- 俳優としてのキャリアに興味がある人
- 演技のプロセスや努力について知りたい人
- 草刈正雄のファン
- 日本のドラマや映画に関心がある人
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草刈正雄は、デビュー当初から二枚目の俳優としてのイメージが強く、そのレッテルを剥がすために自分なりの工夫を重ねてきたものの、なかなか上手くいかない時期があった。30代半ばに差し掛かる頃には仕事が減り、役者を辞めようかと考えたこともあるが、何よりも役者という仕事にしがみつこうと決意することが彼を支えた。オファーされた役に全力で取り組むことで演技のスキルを磨き続け、次第に多彩な役をこなせるようになった。
NHKの番組『美の壺』やコメディアンスタイルの演出を経験する中で、芝居の幅が広がり、役者としての成長につながった。このような経験を通じて、草刈は自身の役者スタンスを貫き、いつか花開くという信念で努力を続けてきた。そして60歳を過ぎてから、大河ドラマ『真田丸』での真田昌幸役という大きな役に出会い、その魅力を余すところなく発揮することができた。
この経験から彼は、役者人生を通じて総合芸術として歩み寄ることの重要性を学び、視聴者を驚かせたいという思いが今後も新たなアイデアを生み出す原動力になっていることを理解した。このように、どんな時も自分の信じる道を歩み続けることが大切だというメッセージが伝わってくる。
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“これしかない”ことを続けていれば、いつかナンバーワンの仕事に出合える
衣装協力:ラルフ ローレンNHK大河ドラマ『真田丸』での熱演が記憶に新しい、名俳優。時にシリアスに、時にコミカルに、独自の多彩な芝居は、観る者に強烈なインパクトを残す。しかし、その華やかな印象とは裏腹に、決して順風満帆とはいえない俳優人生を歩んできた。
「僕はラッキーボーイでね、デビューしてすぐに売れて、大きな役もいただきました。でも、“二枚目”がいつでも付いてくる。それが嫌で、イメージを崩そうと自分なりに工夫しましたが、うまくいきませんでした」
どうにかして二枚目のレッテルを剥がしたい。そう悩みながら仕事をこなしていく日々。ふと気付けば時は流れ、30代半ばを迎える頃には仕事も減っていった。
「役者を辞めてしまおうかと思ったこともありましたね。でも、不思議と心が折れるということはありませんでした。他に何もできないし、とにかくこの仕事にしがみついていこう、という強い気持ちが支えになったのだと思います。僕は、役者しかできませんから」
オファーされた仕事は、何でも受け入れて、自分なりに演じる。そうして磨き抜かれた演技力は注目を集め、活躍の場をどんどん広げていった。7年間ナビゲーターを務めているNHK『美の壺』もその一つだ。
「着ぐるみを着て踊るなど、想像もつかないようなコミカルな演出をさせられることもあるんです(笑)。最初は戸惑いましたが、素直になって、ディレクターの要望になるべく近づけるようにしたら、役者としての引き出しが増えて、芝居の力にもなりました」
そして今年、60歳を過ぎて“役者人生でナンバーワン”の役『真田丸』の真田昌幸に出合うことになる。
「二枚目の自分を崩そうと試行錯誤してきた経験が体に染み付いているというか、いい意味で視聴者を裏切りたいという思いをずっと持って、演じてきました。シリアスな役でもチャーミングな部分を盛り込んだりしてね。自分のスタンスを貫いてきたことが、真田昌幸という大役につなげてくれたのかな、と思います」
心から芝居が楽しいと思えたのも、実は『真田丸』が初めてだという。
「僕の仕事はいわば総合芸術。プロフェッショナルが集まる中で、ブレずにいることは大変ですが、大切なのは、作品を高めるために歩み寄ることだと思っています。『真田丸』では、三谷幸喜さんの脚本がみんなを一つにまとめてくれました。役者の個性を輝かせてくれるので、僕も含め、役者全員が楽しんで演じていて、より面白くするためのアイデアも自然に湧いてきましたね。エネルギーに溢れた、最高の現場でした」
自分が「これだ」と思えることを続けていれば、いつか必ず花は開く――。人生最高の大役を演じ切ったそのまなざしは、力強くも穏やかだった。
- 草刈 正雄(くさかり まさお)
- 1952年福岡県生まれ。70年に資生堂のCMに抜擢され、芸能界に入る。74年に『卑弥呼』で映画デビュー。その後、映画、ドラマなど数々の作品に出演する。2009年からNHK『美の壺』ナビゲーターを担当。NHK大河ドラマ『真田丸』では圧倒的な存在感で老若男女を魅了した。11月よりBS-TBS『日本遺産』でナレーションを担当。