
「A00」を追い求めて再びHondaへ。一番に挑戦するHondaイズムで世の中に貢献

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- 自動車業界に興味のある人
- キャリアチェンジを検討しているビジネスパーソン
- Hondaに興味がある人
- 企業での再入社体験に関心のある人
- コーポレート戦略や事業開発に関心のある人
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この記事を読むことで、本橋氏がHondaへの再入社を選んだ背景と、その経緯を理解することができる。幼少期から「Hondaに入社する」という夢を持ち続け、その夢を実現したが、自分のキャリアに対する問いかけを続けた結果、再びHondaへ戻る決断をしたことが述べられている。
記事では、本橋氏のキャリアの旅路として、最初にHondaでの触媒研究を通じて排ガス削減に取り組み、その後バッテリー開発で成功を収めるも、量産化できない悩みに直面したことが記されている。次にモノづくりの経験を求めて外資系企業に転職し、製造現場とのギャップを埋めるための開発体制の立て直しに尽力した経験が紹介されている。これにより、彼自身の視野が広がり、自分の考え方の幅を広げた。
さらに、再びHondaに戻る選択をした理由として、自身がバッテリーリサイクル領域に貢献することを望み、Hondaがそれを達成する最適な場であると認識した点が強調されている。また、彼が大切にしている『A00』というHonda特有の理念についても詳しく説明され、プロジェクトや人生における基本的な判断基準としてどのように利用されているかが述べられている。このように、キャリアの転換点で自身の使命と役割を再評価する姿勢が、本橋氏の人生の中核を成している。
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子どもの頃からの夢をかなえ、新卒でHondaに入社した本橋。約20年勤めた後に外資系企業に転職し、開発体制の立て直しやマネジメントを経験します。「もう戻ることはないと思っていた」というHondaに再び入社したのは2023年。なぜ再入社という選択をしたのか、そして残りの会社員人生で成し遂げたい使命とは。
本橋 剛Go Motohashi
コーポレート戦略本部 コーポレート事業開発統括部 リソースサーキュレーション企画部
1998年に新卒でHondaに入社。本田技術研究所でガソリン車やディーゼル車の排ガス削減に向けた触媒研究に従事。その後、ハイブリッド車のバッテリーの開発責任者を務める。その経験から、モノづくりの知見を得たいと考え2019年に退職。排ガスを浄化する触媒システムの製造を行う企業に入社し、開発体制の立て直しを行う。2023年Hondaに再入社。バッテリーをリサイクルするためのバリューチェーンの構築を担当している。
Hondaに入社したい──子どもの頃からの夢をかなえ、新たな目標に向かう
1998年に新卒で入社した本橋。「Hondaに入りたい」という夢を抱いたのは、小学5年生の時でした。
本橋「設計に使うドラフター(製図機器)の営業職をしていた父が、取引先であるHondaのことを知るために本田 宗一郎の本を持っていたんです。小さい頃からクルマが好きだった私は、その本を読んで直感的に『こういう会社でクルマを作れたら楽しそうだな』と思いました」
友人たちにも「Hondaに入社したい」と宣言し、好きではなかった勉強を頑張ったと振り返る本橋。学生時代は応用化学を専攻し、就職活動でHondaの選考にチャレンジします。
本橋「当時は会社の状況が厳しかったタイミング。採用人数が絞られていたこともあり、不採用でした。でも、諦められませんでした。そこで、『もう一度チャンスがほしい』と親に頼みこみ、大学院に進学したのです」
2年後、夢をかなえてHondaに入社。四輪の研究開発を行う部署に配属され、触媒の将来研究に携わります。
本橋「その頃は、排ガス規制が強化されている時期でした。はじめに担当したのは、ガソリン車の排ガスをできる限りゼロにしていくための触媒研究。5年ほどその研究に関わった後は、ディーゼル車の排ガス浄化のための触媒研究に携わるようになりました。
どちらもかなり難しいミッションだったため、実現の可否にとらわれない技術研究を行っていました」
10年ほど触媒研究に関わり、ドイツでの学会発表なども経験した本橋。その後、バッテリー開発を行う部署に異動し、量産化に向けたプロジェクトをリードする役割を担います。それは、自身にとって大きな経験だったと言います。
本橋「長い間将来研究に携わっていると、自分が手がけたものはいつ世の中に出るのだろうと不安を感じることもあったのです。しかし、バッテリー開発で量産化に向けた動きを経験し、実際に量産化するところまで管理職として携わることができた。大きな達成感がありました。
じつは、入社してしばらくは、Hondaに入るという夢をかなえられた満足感で、自分は何がしたいのかという答えを出せていませんでした。30代半ばでたどりついた答えは、『定年退職を迎えた時に、精一杯やったと思いたい』。量産化を実現できたことで、その想いをひとつかなえられた気がしたのです」
胸を張って精一杯やったと言えるか──足りない経験を得るためHondaを離れる
バッテリー開発の量産化によって、またひとつ夢をかなえた本橋。次に任されたのは、バッテリーの将来戦略。サプライヤーの担当者らとも徹底的に議論しながら戦略を練ったと話します。
本橋「ただ、結果的にその提案は採用されませんでした。3年ほどかけて自分たちなりに一生懸命考えたものが、受け入れられなかった。再び、『自分が手がけたものが世の中に出ないことへの不安』を感じるようになってしまいました」
当時、本橋は40代半ば。定年退職まであと15年ほどという限られた時間で「精一杯やったか」と自分に問えるのか──あらためて、これからのキャリアを考えたと言います。
本橋「今までのキャリアと自分たちの提案が採用されなかった理由を振り返った時に、自分にはモノづくりの経験が足りないと感じたのです。触媒やバッテリーというのは、Hondaのなかではサプライヤーから調達する機能買い部品です。モノづくりに携わる技術者として、モノづくりを知らないのは良くない。これから自分が何かを成し遂げるためには、一度モノづくりにしっかり携わるべきだと考えました。
Hondaを退職することなど、それまで考えたことがありませんでした。でも、私の目標は、胸を張って精一杯やったと言えること。それならば、Hondaを出るという選択肢もあるのではないかと気がついたのです」
2019年に転職した先は、排ガス浄化の触媒システムを製造する企業。モノづくりの現場も近くにあるなかで、人材のマネジメントも含めた開発体制の立て直しを手がけることになりました。
本橋「理想像だけを追いかけても、どこかで現実とのバランスをとらないと戦略は具現化しません。そのためには、開発側と製造側のギャップをどのような考え方で埋めていくべきか。そこを語れるようになった時にリアリティが出てくるし、それを求められていると感じました」
自分に足りないピースを埋めるべく、開発体制の構築に尽力した本橋。時には製造現場とけんかのような議論をしながら仕事をしたことが、もっとも貴重な経験だったと振り返ります。
本橋「性能を上げるためには投資が必要だけれど、製造現場では対応できないこともあります。理想に向けて立ちはだかる目の前の現実をどう乗り越えていくか。総合的に考えてお客様のためになることを実現していくには、タイミングを逃さずに議論に入ることも重要です。
その際に役立ったのは、Hondaの『A00』(エーゼロゼロ ※)という考え方。『どんな世界を実現するための仕事なのか』に立ち返る判断基準を指す言葉です。A00を意識しながらモノづくりを経験できたことで、自分の幅が広がった気がします」
※ Hondaではプロジェクトのはじめに「これは、どんな世界を実現するための仕事なのか」を議論します。それが「A00」であり、迷ったときや意見がぶつかったときに立ち返って判断基準とすべき指針・コンセプトとも言えるものです。
残りの10年をかけてやるべきことがある。使命を胸に再度Hondaへ
ヒリヒリした感覚も含めて楽しく仕事をしていたという本橋。もともと「Hondaに戻ることはないだろう」と考えていたものの、Honda時代の先輩社員から再入社制度があることを教えてもらったことで、Hondaに戻るという選択肢が出てきたと話します。
本橋「3年ほど仕事をして立て直しも進み、結果も出始めていました。会社に求められたことにはある程度応えられましたし、後継者にポジションを譲るタイミングも見えてきました。
そんななか、再び『自分は何をしたいのか』と考えた時に、バッテリー戦略に携わっていた際にやり残したことに挑戦したいという想いが膨らんできたのです」
それが、現在担当しているバッテリーをリサイクルするためのバリューチェーンの構築です。
本橋「将来、大量のBEV(バッテリー電気自動車)が作られるとなると、原料も大量に必要です。そうなると、原料がまかなえるのか、廃棄する際に適切な処理がされるのかという懸念は当時から抱いていました。
BEVを恒久的なビジネスとして維持していくためには、資源調達においてリサイクルが重要になるのではないか。その領域で自分にできることがあるのではないかと考えていたのです。
社会的にもHonda内でも、当時よりリサイクルに対する意識は高まっています。技術面は若い人たちに任せればいい。私は会社員人生の最後の10年をかけて、リサイクル領域に取り組むべきだと感じ、再入社を決断しました」
とはいえ、「もう戻ることはない」と思っていた会社。再入社にあたっては、もちろん不安もあったと話します。
本橋「挫折や苦労も大いに味わいましたから。また大変な思いをするかもしれないという気持ちもありました。
でも、Hondaを嫌いになって退職したわけではない。また役割を与えてもらえて、うれしくないわけがありません。やっぱり、Hondaが好きなんですよね」
いずれ淘汰されてもいい。一番に挑戦して世の中に貢献することがHondaらしさ
再入社後は、2030年以降を見据えたバッテリーのリサイクル戦略立案を担当。さらに、その戦略を具現化するフェーズをリードする役割を担っています。
モノづくりの現場から、事業という「コトづくり」へ変化したものの、共通点もあると言います。
本橋「理想を掲げつつも、どこかで現実とのバランスをとることは同じです。現実とありたい姿をいかに両立していくか。そこを意識できるようになったのは、前職の経験があるからだと感じます。
その際に軸となるのは、やはり『A00』という考え方。『自分は何がしたいのか』をとことん問うことで、ぼんやりしていた輪郭がはっきりしてくる。そして、それをやりきるという姿勢は、Hondaの一番の持ち味であり、技術力や精神の源泉なのではないかと感じます」
「自分は何がしたいのか」を考え抜き、後悔のないように取り組む──その姿勢は、本橋の人生そのもの。そして、子どもの頃から心にあったHondaで、「Hondaらしいリサイクルの形」を作り上げることをめざします。
本橋「クルマの電動化は、世の中にとって必要なことです。それを普及させるためには、今までやってきていないことに取り組まなければいけない。そのひとつがリサイクルです。
そのなかで、何がHondaらしいのかと言えば、『ひとつの解として、どんな形でもいいから一番に挑戦すること』なんです。もしかしたら、その後他社に真似をされてHondaは淘汰されるかもしれない。でも、それでいいんです。
議論するだけではなく、その時に一番良いと思える形で世の中に出して貢献できることを証明する。それが、私が最後にやるべきことだと思っています」
自らの「A00」を追求しながらキャリアを歩んできた本橋。同じようにHondaへの再入社を検討している人へ、こんなアドバイスを送ります。
本橋「『自分は何がしたいのか』をとことん考えることで答えが出てくるはずです。その結果、Hondaに戻らないという選択肢もあるでしょう。でも、そうやって出た答えが正解なんです。自分に問い続けるという姿勢が、Hondaで得た財産ですから」
Hondaに入るという夢をかなえ、「A00」を追い求めてHondaを離れ、新たな使命を果たすために再びHondaへ──最後に「精一杯やった」と自分に胸を張れるよう、情熱を燃やし続けます。
※ 記載内容は2023年3月時点のものです
★Hondaでは、Honda退職者を対象とした「Hondaアルムナイネットワーク」を運営しています。過去にHondaに正規従業員として在籍した方で、Hondaとのつながりを希望される方は、ぜひご登録ください。
https://www.honda-jobs.com/recruitment/alumni/※ 記載内容は2025年3月時点のものです