共働き世帯が増え、子育て世帯では日々の家事・育児に追い詰められてしまう人が増え続けています。
いっぽうで、子どもがいない人、結婚しない人などそれぞれの事情が多様になる中「これが正解」といった解決策も見当たらず、誰もが試行錯誤しているのではないでしょうか。
さまざまな立場で家事や育児に向き合う人たちを描いた『対岸の家事〜これが、私の生きる道!〜』(TBS系列)の原作者・朱野帰子さんと、サイボウズ代表の青野慶久が、ともに家事・育児と仕事の両立に奮闘してきた経験をもとに対談しました。
専業主婦が「マイノリティ」の時代になった
TBSの火曜ドラマ枠(毎週火曜よる10時)で2025年4月からスタートした『対岸の家事~これが、私の生きる道!~』。主演は多部未華子さん。原作は朱野帰子さんの『対岸の家事』(講談社文庫)。ⒸTBS
朱野さんが原作小説を書かれたドラマ『対岸の家事〜これが、私の生きる道!〜』。第1話のTVer再生数が400万回を超えるなど注目を集めていますね。
原作が出版されたのは2018年ですが、執筆のきっかけは?
2012年頃に、専業主婦をしている後輩から聞いた話がきっかけです。彼女は、ママ友から「仕事は何をしているの?」と聞かれて「家事と育児」と答えるも、「うん。で、仕事は?」と言われてしまうと言うんです。
私はそのころ上の子を妊娠していて「自分はこれからワーキングマザーとして先進的に生きていくぞ」と意気込んでいたのですが、当時すでに「働きながら家事・育児をするのが当たり前」という空気ができつつあることを知りました。
専業主婦がマイノリティになるというのは、ちょっと衝撃的ですね。
私も驚きました。時代が変わり始めていることを感じて、その狭間にいる人たちを書いてみたいと思ったんです。
朱野帰子(あけの・かえるこ)。1979年、東京生まれ。2009年『マタタビ潔子の猫魂』(MF文庫ダ・ヴィンチ)で第4回ダ・ヴィンチ文学賞を受賞しデビュー。主な著書に、東京駅で働く人々を題材にした『駅物語』(講談社文庫)や、ドラマ化されて話題になった『わたし、定時で帰ります。』(新潮文庫)など。2025年4月よりドラマ化された『対岸の家事』(講談社文庫)では、仕事や家事、子育ての両立に奮闘する人々を描き、多くの共感を呼んだ。2児の母。
『対岸の家事』(講談社文庫)。2018年8月刊行、2021年6月文庫版発売。家族のために「家事をすること」を仕事に選んだ、専業主婦の詩穂。娘とたった二人だけの、途方もなく繰り返される毎日。幸せなはずなのに、自分の選択が正しかったのか迷う彼女のまわりには、性別や立場が違っても、同じく現実に苦しむ人たちがいた。手を抜いたっていい。休んだっていい。でも、誰もが考えなければいけないこと。『わたし、定時で帰ります。』の著者が描く、もう一つの長時間労働。 終わりのない「仕事」と戦う人たちをめぐる、優しさと元気にあふれた傑作長編。
子育てで「詰んだ」経験は、誰にでもある
『対岸の家事』では働くママの礼子さん(演:江口のりこさん)が、家事と仕事で余裕がなくなって、子どもに怒鳴ってしまう場面に多くの反響が集まっていました。
「礼子がまるで自分に見えた」という声が、視聴者の皆さんから多くありました。働くママだけでなく、専業主婦の方からも。
礼子さんが劇中で「ゲームオーバー」と言う場面がありますよね。あの「詰んだ」経験は、僕も何回かあります。
青野さんもあるんですね……。
我が家も、子どもがノロウイルスに感染し、私にもうつってしまって。しかも、夫が仕事を休むことができなかったんです。それで、病人である私が吐きながら必死に看病したことがありました。
仕事をしながら家事もほぼワンオペでこなす働くママの礼子(中)。おもちゃを散らかす子どもに「しまいなさい!」と怒鳴ってしまうシーンや、「朝か来るのが怖い」のセリフに共感が集まった。ドラマ『対岸の家事』第1話よりⒸTBS
僕は、妻が10日ほど入院したとき、ひとりで子ども3人をワンオペで見てたんです。
何とか乗り切れるか……と思ったら、妻の退院直前に娘が結膜炎にかかってしまって。その日は、子どもを会社に連れてきました。(※)
※編集部注:当時はやむを得ず会社に同伴しましたが、外せないミーティングのみ出席しすぐ帰宅しました。短時間・限定的な対応で、感染対策を講じています。
保育園には預けられないので、そうするしかなかったんです。当時はリモートワークも一般的ではなかったので。まわりに理解があると、まだ何とかなりますよね。
近所に1人知り合いがいるだけでも違うんですよね。
子どもたちが小さかったころ、近所のスーパーで、子どもを抱っこして、もう一人の子どもと手を繋いでいるときに、何も言わずに買い物カゴを袋詰め台まで運んでくれるレジの方がいて。
私は疲れきっていてお礼も言えなかったんですが、主婦のパートさんであろうその方は、私の大変さをすべて理解してくれて、買い物カゴを運んでくれたんだと思います。
そういう人が近くにいると、ありがたいですよね。
青野慶久 (あおの・よしひさ)。サイボウズ代表取締役社長。大阪大学工学部情報システム工学科卒業後、松下電工(現 パナソニック)を経て、1997年サイボウズを設立。2005年現職に就任。著書に『チームのことだけ、考えた。』(ダイヤモンド社)、『会社というモンスターが、僕たちを不幸にしているのかもしれない。』(PHP研究所)など。3児の父として3度の育児休暇や時短勤務を経験。
「家族が元気で笑っていたら100点!」家事はできなくて当たり前。
仕事も家庭も、一人で抱え込んでしまう礼子さんのような人は多いと思います。
僕は、「家族が元気で笑っていたら100点!」と思うようにしています。
部屋が片付いてない、子どもがごはんを食べようとしない、保育園にも行きたくないって言ってる……でも、子どもが元気にニコニコしていたらOK。
この基準があれば心に余裕ができると思うんです。
優先順位を決めるしかないですよね。
最優先は子どもの命。次は心が守られること。その次が仕事とお金。そう覚悟を決めるしかない。
サイボウズの社員で、上の子が生まれた数年後に双子ができた人がいて。いきなり1人から3人。もう大変ですよ。「大丈夫?」と聞いたら案外割り切っていて「子どもが生きてるだけで幸せと思うようになりました」と。
双子の男の子たちは、ちょっと目を離すとすぐどこかへ走っていって気が気じゃない。1日終わったときに「今日も生きてた。よかった」と、それだけで満足するようになったそうです。
ドラマの反響を見ていると、みなさん「自分だけができていない」と思っている人が多いように感じます。
子どもがいないときはできてたことが、できなくなるんですよね。生活のクオリティが突然下がったように感じて、追い詰められてしまう。
でも、これが世の中の標準。誰もがそんなもんです。
そうですよね。たまに家が散らかっている写真をSNSにアップしている方がいて、あれ見ると「よかった、うちだけじゃない」と救われます(笑)。
「夫は何してる?」話し合えていないのが最大の問題
ドラマで、家にいる描写がほとんどない礼子さんの夫に対して「一体何してるんだ?」という反響も多く見られました。
視聴者の方に怒られてますが、礼子の夫は……働いています。礼子も働いているんですけど……育児に理解のある職場とそうでない職場があると思うんです。
このシーンは「夫に帰ってくるように言えばいいだけの話でもない」と思いながら書いていました。
男性育休の取得がまだ難しい職場もあると聞きますね。
子どもが体調を崩したときに帰宅したくても交代要員がいなかったり。男性の方が、育児を優先すると出世に響きやすい現状も。
また、産休・育休を取った妻がマミートラック(※)にのせられた場合、夫が稼がないと教育費がまかなえないというジレンマもあります。
※マミートラック:育児中の女性社員が、自分の意思とは関係なく出世コースから外れてしまう状態
夫はキャリアを積んでいるのに、妻はキャリアが削られていると感じている夫婦も多いようです。
夫婦で話し合うしかないのですが、それができていないのが大きな問題ではないかと。
ジェニファー・ペトリリエリの『デュアルキャリア・カップル――仕事と人生の3つの転換期を対話で乗り越える』(英治出版)という本では「共働き世代がどうすれば幸せになれるのか」についてさまざまな調査結果が書かれていますが、最終的には「話し合いが大事」という結論になっていて。
ライフステージごとに夫婦で話し合いをしておかないと、取り返しがつかないほどの溝ができてしまうこともあるんじゃないかと思います。
家事も育児も、お互いの価値観が違うことってありますもんね。
うちは妻が料理に冷凍食品やお惣菜を使うのを嫌がっていたんですが、僕は全然気にしないし、むしろ無理してストレスになる方がつらいと伝えました。
そしたら最近はお惣菜が増えて、妻もあまり怒らなくなり、家庭が平和になりました。自分だけで基準を作らず、ちゃんと話し合うのが大事です。
冷静に話し合うために、第三者を入れるのもいいと思います。私は家の片付けで夫と揉めたとき、整理収納アドバイザーさんを呼びました。
夫婦だとお互い同等なので、なんか負けた気がしてしまうんですよね。でもプロの立場から意見を言ってもらうと納得しやすい。他人の前で喧嘩はできないですし。夫婦の間にワンクッション置くと、揉め事が解決することがあります。
対立してしまう「子どもがいる人」「いない人」
ドラマ第3話では、独身の今井くん(演:松本怜生さん)が、子どもの体調不良で欠勤が多い礼子さんを「全然会社にいませんよね」と責めるシーンがありました。
まさに『対岸の家事』ですよね。サイボウズでも似たようなことがあって。
離職率が上がった2005年ごろに人事制度改革をしたのですが、ワーキングマザーたちから在宅勤務や時短勤務の要望が上がっているのを見て、独身男性の一部からは「子育て中の人が優遇されて、自分たちに残業などのしわ寄せが来る」と不満が出たことがありました。
子育て中の社員を優遇したいわけではないのだから、不満を言うだけでなく、どんな人事制度がほしいかを挙げてほしいと伝えました。残業手当とか、人員を増やしてほしいとか、言ってくれと。
そしたら数日後に彼は「やっぱり、若手のうちは仕事に打ち込みたいです。残業もします」と言ってきました。
自分と違う働き方をする人が得をしているように感じたんでしょうね。
自分の軸で考えれば、仕事に全力で向き合える環境に満足しているのに、比較して不幸な気持ちになっていた。
礼子と同じ部署に勤める今井(右)。子どもの事情で不在が続く礼子を責めた背景には、飼っている愛犬が病気で、看病のために休みたい事情があった。ドラマ『対岸の家事』第3話よりⒸTBS
「自分が大事にされていない」という感覚が分断につながる
社員の方は「自分が会社に大事にされているか」を気にされていると思います。
たとえば、私や青野さんだと、自分たちの世代にはなかった子育て支援が、下の世代にふんだんに注がれるのを見て「あ……」と少し引っかかる気持ちになることはありませんか。
税金も物価も上がっているから、支援を手厚くするのは当然だと、頭ではわかるんです。
でもふとしたときに、昔に泣いてた自分が胸の中にいて「私は慰めてもらえなかったのに」「あのときの苦労はなんだったの」と思ってしまう。
日本人は苦手なんでしょうね。自分がないがしろにされていると感じたとき、それを言葉にすることが。
外国の方を見ていると「言っていいんだ!」と思うときがあります。
サイボウズもアメリカで採用を始めたとき、積極的に給与交渉をしてくることに驚きました。転勤なんか命じたら必ず交渉されます。
日本は今まで終身雇用制だったので、何も言わなくてもそれなりの待遇を得られました。
私たちの世代くらいから共働き世帯が増えて、なりふり構わず交渉しないといけなくなり、その結果、制度が充実してきました。主張や話し合いをするしかないんですよね。
これからは「個」の時代。誰もが事情を抱えながら生きている。
これからは独身の人でも、介護やペットの世話のために会社と交渉することが増えてくると思います。
『対岸の家事』でも、今井くんの愛犬が病気で余命が短いというエピソードにも共感が集まっていましたね。こういうときにも助け合うのが当たり前になるといいなと思いました。
その人の人生において重要な時期に周囲が理解してくれると、「会社は自分を大事にしてくれている」という感覚につながるのかもしれません。
これからは「個の時代」だと思うんです。子どもがいるかいないかの二元論ではなく、もっと混沌としていて、何に困っているかも人によって違う。
それをひとつひとつ解決していくには、経営者や管理職の負担は大きいと思うんですが。
外から見えづらい「個の事情」。エンターテイメントが対話のきっかけに
その人がどんな事情を抱えているかは外から見えづらく、会社で話しづらい状況もあります。
今はプライベートに踏み込みづらい風潮があり、お互いに何に困っているかわからなくなっていると思います。どれだけ聞いていいのか、話していいのか、お互い気にしている。
ただ『対岸の家事』の反響を見ていると、エンターテイメントを間に挟むと話しやすくなるようで。
たとえば「疲れて子どもを激詰めしちゃうんです」とは言えないけど、「『対岸の家事』の礼子の気持ちがわかる」なら言いやすい。まわりにも「いま、育児が大変なんだ」とわかってもいやすいですよね。
今井の話も、犬を飼っている方から「画期的だった」というコメントがあって。育児、介護の話はできても「犬がいるので…」とは言えなかった人たちが、結構いたのかなと思います。
我が家は動物を飼ったこと無いので意識してなかったんですけど、今井くんの話でアンテナが立ちました。
いずれサイボウズさんでペット休暇の制度ができるかもしれませんね(笑)
みんなが家事の当事者になる時代。寛容で生きやすい社会を。
家事や育児をがんばった経験は、いずれいろんな人の助けになると思っていて。同じことの繰り返しに見えても、無駄ではないし、活きるときがきっときます。
今年は家事をテーマにした作品が多く作られています。専業主婦が減り、みんなが家事の当事者になる時代なのだと思います。エンターテインメントを通して、家事について知る機会にしていただけたら嬉しいです。
育児や介護などによって、今までできていた生活ができなくなることがありますが、それは当たり前だと伝えたいです。
「もっと栄養のあるものを食べさせたい」「手料理を食べさせたい」とプラスアルファを求めて辛くなると「心の健康」を失ってしまう。
一番大事なものを見失わないように。「家族が元気に笑っていたら100点!」という寛容さが社会に浸透すれば、もうちょっと生きやすくなるんじゃないかと思います。
動画では記事未公開シーンもお楽しみいただけます
企画:山本悠子(サイボウズ)執筆:御代貴子 写真撮影:栃久保誠 動画撮影:高橋団(サイボウズ)編集:モリヤワオン(ノオト)ドラマ画像提供:株式会社TBSテレビ
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