「仕事を休んではいけない」「無理をしてでも、がんばる必要がある」──。多くの大人が抱えるこうした価値観は、幼少期からの体験によって形成され、時としてわたしたちの選択肢を狭め、心身に影響を及ぼすことがあります。
また、その価値観が子どもの不登校や行き渋りといった場面で、家族関係を悪化させる要因になることもあるでしょう。
では、幼少期から形成された価値観と、どう向き合えばいいのでしょうか? サイボウズソーシャルデザインラボの作内大輔となかむらアサミが、元・陸上自衛隊心理教官で心理カウンセラーの下園壮太さんに伺いました。
「戦場のメンタルヘルス」から始まった異色のキャリアパス
今日は、異色のご経験からカウンセラーとなり、ビジネスパーソンはもちろん、家族に関するケアに尽力されてきた下園さんに、子どもの不登校問題について伺いたいと思います。
ところで、一般的にメンタルヘルスの専門家といえば、大学などで心理学の知識や理論を学ぶところから始める人が多いですよね。
その一方で、下園さんは陸上自衛隊初の心理幹部(自衛官のメンタルヘルス支援などを行う心理教官を管理・指導する役職)に任命されたことが、現在のお仕事につながるキャリアの出発点だったそうですね。
そうなんです。わたしは防衛大学校を卒業して、最初は一般の自衛官として勤務していました。
その後、自衛隊ではPKO(国連平和維持活動)やイラク派遣、災害派遣など実際の任務が増えていくにつれ、「過酷な現場で対応できるのか」が問われ始めました。
下園壮太(しもぞの・そうた)。1959年生まれ。1982年 防衛大学校を卒業後、陸上自衛隊入隊。陸上自衛隊初の心理幹部として多くのカウンセリングを手がける。2015年に退官し、現在は、NPO法人メンタルレスキュー協会理事長を務めるかたわら、大事故や自殺問題への支援で得た経験をもとに、独自のカウンセリング技術を講演や研修会で広めている。『心を守る ストレスケア』(池田書店)など著書多数
そもそも軍隊は、実際の戦場で機能してこそ意味があります。ですが、戦場で仲間の死などに直面すれば、精神にダメージが加わり、部隊が機能しなくなるかもしれない。
そんな背景から、有事に隊員をケアできるよう、突然、畑違いの部署にいたわたしに心理幹部の辞令が下されました。
はい。ただ、心理学の知識はほとんどありません。
そこで、まず1週間のカウンセリング研修を受けて、その1か月後には心理幹部を任されました。その後は、過酷な現場で経験を積み重ねながら、隊員のメンタルケアに取り組んできました。
「実際の場面で本当に役立つか」が常に問われる現場での学びが、いまの活動の土台になっているんです。
支援が届きにくい、不登校の初期段階で起きていること
今回、下園さんにお伺いしたいのが、子どもの不登校問題についてです。
僕らが所属する「ソーシャルデザインラボ」では、ITとチームワークの力を生かして、さまざまな社会課題の解決を目指しています。
作内大輔(さくうち・だいすけ)。サイボウズ株式会社 ソーシャルデザインラボ所属。ソーシャルマーケター。社会課題調査を担当し、課題当事者の声や背景を分析、政策提案や解決策の発信まで一貫して取り組む。これまで、高齢者向けWEBフォームのユーザビリティ調査や、不登校・行き渋りの子どもを持つ保護者への調査を実施。また、WEB制作やコンテンツ企画、SNSを通じ、社会課題に関心を持つ人々にソーシャルデザインラボの活動を届けている。ほかに2社の代表や理事を務める複業家
新たな取り組みとして、不登校の子どもたちに多様な学びの場を提供するため、「サイボウズの楽校」というフリースクールを開校しました。
サイボウズ社員の子どもの不登校問題から発案し、ソーシャルデザインラボの取り組みとして2023年に吉祥寺にオープンしたフリースクール
その運営をしながら、さらにできる支援を探ろうと、不登校に悩む親御さんへの調査も実施していまして。
すると、子どもが不登校・行き渋り傾向になったとき、親の検討フェーズには「葛藤期間」「情報収集期間」「行動期間」の3つのフェーズがあることが見えてきたんですね。
この中でとくに注目しているのがフェーズ1の「葛藤期間」です。この段階では、不登校問題を相談できる相手が周りに少なくて情報が不足しています。その結果、誰にも相談できず、対応策がわからずに困惑する親御さんも少なくありません。
そうなんです。そこで、フェーズ1をさらに詳しく見てみたところ、親御さんが抱える葛藤には「子どもの意思や状況把握の葛藤」「自分自身との葛藤」「配偶者・パートナー、身内との葛藤」の3パターンあることもわかりました。
フェーズ1の葛藤時期には、不登校についての情報が収集できていない。それが原因で、不登校が長引くご家庭が多いことが見えてきました。
今日は、この調査結果を踏まえて、いろいろとお伺いさせてください。
不登校問題は、保護者のケアが優先
まずお伺いしたいのが、フェーズ1の「葛藤期間」が長引きやすく、その時期に3つの葛藤が生じる原因についてです。
なかむらアサミ。サイボウズ株式会社 ソーシャルデザインラボ所属。法政大学大学院経営学研究科キャリアデザイン学専攻修了。修士(経営学)。教育、IT企業で人事を担当し、2006年サイボウズ株式会社に入社。人事、広報、ブランディングを担当。チームワークに関する活動に携わり、現在は、小学生から社会人まで幅広い層にチームワークを教える活動をしている。著書(共著)に『わがままがチームを強くする』(朝日新聞出版)『サイボウズ流テレワークの教科書』(総合法令出版)など
原因は親御さんのうつ状態でしょう。
自衛隊にいたころ、「OODA(ウーダ)ループ(※)」という思考法を叩き込まれたんですね。この方法を使って、これまで多くの親御さんの声に耳を傾けながらサポートを続けてきました。
すると、不登校問題に直面し、うつ状態になっている親御さんには「4つの変化」が起こっていることがわかったんです。
※OODAループ:現状をよく観察した上で、状況に応じて素早く判断・行動し、柔軟に修正していく思考法。
1つめの変化は負担感の増加です。たとえば、お母さんが仕事をしながら家事・育児をしていると、エネルギーが消耗します。そのような状態で、「不登校」という新たなトラブルに直面すると負担感が増えます。
そして、2つめの変化では「このままだったら、どうなるのだろう?」と不安が募る状態になる。
3つめの変化では「トラブルが大きくなったのは自分のせいだ」と自分を責めるように。
そうして4つめには、うつ状態に陥り、誰にも悩みを相談できなくなるんですね。
「自分はちゃんとできている」という自信がなくなるからです。
もともと相談に行くことさえ大変なのに、相談先では正論で責められたり、「こういうコミュニケーションを心がけてください」と課題をたくさん与えられたりするかもしれない。そう考えると疲労度がさらに上がるので、相談できないわけですよ。
そうならないように、まずは親御さんの疲労度合いを理解して、うつの初期段階で適切に対処することが重要なんです。
不登校というと、お子さんに働きかける話になりがちですが、まずは負担を抱えている親御さんをケアすべきなんですね。
そのとおりです。エネルギーがある子どもは環境が整えば復活することが多い。問題はその環境を整える親のほうにあります。
だからこそ、わたしはご相談を受けたら、「いかに親御さんをレスキューするか」ということだけを考えるようにしていますね。
「疲労度合いを理解する」とのことですが、疲労にも段階があるということですか。
第1段階は理性的判断が可能。第2段階では不調や緊張状態が現れ、楽しさなどを感じにくくなる。第3段階はうつ状態で、イライラして感情的になる。(下園さん作成)
すでに第2段階にいる人でも、体力があれば気合でがんばれてしまいます。
でも本来は、その段階でヘルプを求めて適切に対処し、うつ状態に陥る第3段階に進まないようにしないといけません。
しんどいサインに気づいたら、まずはじっくり休むこと
ヘルプを求めるべき第2段階で、親御さん自身が自分の疲労に気づいていないケースも多そうです。
周りがサポートするには、どんなサインに注意すべきでしょうか?
最初に出やすいのは「身体的な症状」ですね。
眠れない、食欲がない、お腹が痛いなどもありますし、女性の場合はホルモンバランスが乱れて、しんどくなっていることもあります。ただ、こうした不調には本人も周囲も気づきにくくて。
注意したいのが、次に出てくる「家族に対するイライラ」です。頭では「こんなことを言っても仕方ない」とわかっていても、生理的な反応として感情が抑えきれなくなっています。
ある程度甘えが許される身近な存在だからこそ、感情をぶつけてしまいやすいんですね。
そうしたサインに気づいたら、どのくらいの期間、休ませてあげるのがいいのでしょうか?
目安は3か月ほどですね。これまでの経験では、子育ての役割から少し離れてもらい、負担が軽くなる環境をつくってあげることで、かなり回復するはずです。
かなり疲れていても、インターネットで情報収集をし続ける人もいますよね。
「余計に疲れるんじゃないかな?」と思うんですけど、これはどういう状態なんですか。
うつ状態になると、誰かに「あなたはよくがんばった、間違っていないよ」と言ってほしいわけですよ。
でも、配偶者は問題を目の当たりにしているから「間違っていない」と言い切れないし、「じゃあ、自分がやるよ」と負担を引き受けることが難しいときもあります。
だから、「自分を肯定してくれる言葉」や「問題を解決できる方法」をネットに探しに行くんです。
解決策だけじゃなくて、肯定してくれる意見も求めていると。
そうです。だけど、大変なエネルギーを使うので、僕はうつ状態の人には止めてもらっています。AIを使うのもおすすめしませんね。
はい、いまのAIはビジネスコーチング的に正しい解決策を出してくるんですけど、うつ状態の人にはそれが逆効果です。
「答えをもらっているのにできない。なんて自分はダメなんだろう」と自分を責めてしまいます。しかも、課題を提示されるので負担感が満載で、余計つらくなるだけです。
では、うつっぽい人はどうすればよいのでしょう……。
頭を使わないものを見てください。いまだと、TikTokがいちばんラクだと思いますよ。
とはいえ、TikTokでも観てよい内容があって、自責の念を強めたり、自信をなくしたりするジャンルはNGです。おすすめなのは、たとえば「子ども」と「猫」の動画ですね。
がんばりすぎないために知っておきたい2つの「心の強さ」
自分のつらさに気づいていても、ヘルプが求められない親御さんもいそうです。
わたしは、心の強さには「子どもの心の強さ」と「大人の心の強さ」の2つがあると考えているんですね。親御さんがヘルプを出せないのは、自分の「子どもの心の強さ」で乗り切ろうとするからです。
子ども時代に鍛えられた我慢や努力で、何があっても逃げずに一人でやり遂げようとするのは「子どもの心の強さ」です。
だから、「無理してでもがんばるべき」と考えてしまうと。
ええ。そうならないためには、柔軟さやしなやかさを持つ「大人の心の強さ」を発揮して、がんばり続けないことも必要です。
2つの「心の強さ」を状況に応じて使い分けることが大切なんです。
なるほど。わたしたちはこれまで身につけてきた「子どもの心の強さ」にすがりがちなのかもしれません。
実際に2つの「心の強さ」は、どうやって育てていけばいいのでしょうか?
「子どもの心の強さ」は、我慢や努力を通して子ども時代に鍛えていくのが理想ですね。
一方で、適切にあきらめながら、失敗しても自分自身を励まし、ゴールをしぶとく追及する「大人の心の強さ」は、理不尽な思いをする体験でおのずと身についていくと思います。
理不尽を乗り越えることで、「大人の心の強さ」を身につけていく
「大人の心の強さ」を育てる、理不尽な思いとは具体的にどんなものでしょう。
たとえば農作業では、どれだけ手をかけても台風で作物が全滅することがあります。
このような環境では、どうにもならないことは柔軟にあきらめ、また1からこつこつとやっていく「大人の心の強さ」が育まれていきます。
なるほど。では、不登校の子どもがいる親御さんが、「大人の心の強さ」を育てていくにはどうしたらいいですか。
まずは疲れたときにちゃんと休めるように準備しておくことが大切です。
その上で、「家族とはこうあるべき」「自分はこうしなければならない」といった「べき論」──「子どもの心の強さ」にとらわれて苦しくなったときこそ、それに気づいて「大人の心の強さ」を育てる絶好のチャンスだと思ってください。
でも、自分が「べき論」にとらわれているのって、なかなか気づけないんですよね。
うつ状態のとき、正しい対応策を知ろうとAIを使うのはおすすめしませんが、自分の価値観を客観視したいときは、AIや本が役立ちます。価値観が違う人からの助言は受け入れにくくても、AIや本の言葉なら素直に響くことがありますから。
こういうときには、AIも頼りがいのある存在になるんですね。
これまでの価値観を手放す一方で、新しい知識を得て、学び続けなければいけないのは大変だなって感じるときもあります。
もしかしたら、その考え方自体が「子どもの心の強さ」かもしれません。わたしは学び続けなくてもいい、と思っていて。
というのも、農耕時代は常に学び続けて成長しているわけじゃなく、同じ作業を繰り返していましたよね。ただ、それでも人々は幸せだったはずです。
なるほど。たしかに、40歳以降ともなると、体力的にも成長するのがきつくなってきてるんですよね……。
そういうときは、「成長を感じること」以外の、ほかの快感を増やしていけばいいんです。わたしたちには自分の経験や知識を次の世代に残したい欲があるので、「教える」「育てる」ことも快感になるはずです。
ある程度までは「子どもの心の強さ」で成長したら、「大人の心の強さ」に切り替えていくことで、目指す方向も自然と変えていけるはずですよ。
企画:竹内義晴(サイボウズ) 執筆:流石香織 撮影:栃久保誠 図版:サンノ 編集:モリヤワオン(ノオト)
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